本当は卒業式当日に届くように投函したらしいんだけど
失敗して今日届いてたw
以下全文
「拝啓
暑さ寒さも彼岸までとは申しますが
ご両親におかれましては、ますますご健勝のことと存じ上げます。
さて本日は卒業を迎えることができました。
思い返してみると、短いようで長かった三年間でした。
その三年間には、毎朝早くからお弁当を用意してくれたり、私の夢を応援してくれる両親の支えがありました。
入学のとき、私学ということで学費も多くかさむにも関わらず、私の背中を押してこの○○高校に進学させていただきました。
部活動でも入部を後押ししていただきました。
大会のときは会場まで足を運んでいただき、私自身、心の支えとなりました。
本当にありがとうございました。
いよいよ社会人の仲間入りをするのかと思うと、嬉しさと不安が入り混じった気持ちです。
これからは社会的にも一人前として見られるので、
いっそう責任をもって日々過ごしていきたいと思います。
私には夢があります。
何年か先、運転士として一人立ちするとき、
ご両親を「お客様」としてご案内することです。
それを目標に、働いていきたいと思います。
これからも、ご自愛のほどお祈り申し上げます。
敬具
平成二十五年三月一日 ○○(息子の名前)
○○ ○○(相方の名前)様
○○(私の名前)様」
再婚を決めたとき、
お母さんが幸せなら、ボクはそれでいい、
相方のことは好きだし、反対はしない。
でもお父さんだとは思えないといっていた息子。
養子縁組をしようとしたとき
口では「うん」と言いながら
書類を書きながら涙をこぼしていた息子を見て
養子縁組はしなくていいって言った相方。
だから息子はまだ私の古い戸籍に入ったままで
名字も私たちと違う。
息子の望むようにしよう、
別にオレはそれでいいって言ってたけど
本当はきっとさみしかったんだと思う。
相方もバツイチだけど
私と違って実子がいないので
息子のことを本当の子どもだと思いたかったんだと思う。
私は卵巣がんになってしまって
もう子どもを生むことはできないから
自分の子どもが欲しいなら別の人を選んでねって
相方に言った事もあるんだよね。
それでも相方は、息子を含めての私が好きだって言ってくれた。
私が病気になってからは
できる限り、息子の朝食やお弁当を作ってくれるようになった。
そんな相方の気持ちが息子に通じていたんだなと思うと
私もすごく嬉しかった。
息子としては、やっぱり名字を変えるのに抵抗があるみたい。
私も職場では旧姓で通しているし
その気持ちはよくわかる。
でももうそんなことどうでもいいかなって思えたよ。
子育てももう終了かと思うと
寂しい気持ちもあるけど
やっぱり嬉しい春になったなあ。